衛藤淳の自己紹介

自己紹介閲覧いただき、ありがとうございます。

衛藤 淳(えとう あつし)です。

はじめての方もいらっしゃるかと思いますので、僕の自己紹介をさせてください。

僕は、1993年愛知県に生まれ育ちました。

学生時代は、横着で(笑)はちゃめちゃでした。
とにかく好きなことだけやって、誰にも咎められず、自由に10代を過ごしてきたので
「無責任な奴、衛藤と関わるとバカが写る」同級生の親からは同級生に対し、「どうか、衛藤君だけは関わらないで」まで言われてた始末です。

それに、自分が納得できないこと、筋の通ったことが嫌いだったので、生意気だと、よく先輩に目をつけられてました。

高校生になり、何故か勉強は苦手じゃ無かったので、受験は問題なかったのですが、高校でも先輩や教師に目をつけられ、排除されるように、2ヶ月で退学処分を受けます。

義務教育では自由にさせてもらっていた分、僕の中での常識が、集団生活の常識や、社会の常識に通用しなくて、いわゆるドロップアウトしました。

流石に高卒はとっとかないと…不味い…と思い通信高校に通うのですが、片親だったということもあり、世帯年収300万円の家庭で育ったので、働くことを余儀なくされ週1通信、週5アルバイトの生活が始まりました。

10代は、「コンビニ、マクドナルド、ガソスタ、工場、居酒屋、土木」など様々なアルバイトを経験してきました。

お気づきの方も多いと思いますが、僕は世間一般でいう、社会不適合者です(笑)

なかなか仕事が続かないのです。上司と合わなかったり、時には店長と殴り合いの喧嘩をしたりと、無茶苦茶でした。

そんなこんなでしたが、、周りの大人や同級生も、みんな工場に就職していたので、通信高校卒業後、無事工場に就職しました。

理由は、特に疑うこともなく子供の頃から親に「豊田系に入れば一生安泰だから!工場に入りんよ!」と散々言われてきたからです。

まあ、人と関わることなく黙々と作業する分には性にあっていたので良かったのですが、給料明細を見ると「¥125,000」。
高卒だからこんなもんだし、1年目だからしょうがないと思いましたが、2年目の昇給を見ると「¥2,000」の文字が。

「10年働いても基本給¥20,000しか上がらないのか…」

また、2年目は残業や夜勤が増え、給与は手当てで少しだけ増えましたが、ライン作業で肉体的、精神的にキツく、さらに当時の彼女と別れを告げられたこともあり、鬱病になりました。

食事が喉を通らなくなり、当時体重は身長182cm体重は58kgに…(※今は96kgあります笑)

仕事も忙しい上に給料が安く、やりがいも無し、かといって目標ややりたいことも無い。休みもずっと家に引きこもる日々でした。

しかし、このままじゃダメだと!人生を変えなきゃと思い切って筋トレを始めることにしました(笑)。徐々に鬱病が改善されて、日々変わっていく肉体に、向上心がめばえ、僕の中の小さな世界は、少しずつ変わり始めていきました。

それからジムのトレーナーさんと話すうちに、「トレーナーっていいな。素敵な仕事だな。僕もなりたい!」と思い、進学を決意します。

会社を辞めること、親、友人、上司、同僚「安定を捨てるの?やめときん!」と言われ、特に親には泣きつかれ、「仕事辞めるくらいなら家から出て行け!」とも言われました。

ですが、自分のトレーナーになるという夢は諦めきれず、周囲の反対を押し切って進学します。

それから卒業間近になり、もっとスポーツ科学を学びたいと思い、猛勉強して大学受験をします。

奨学金を300万ほど借り入れ、大学に編入できましたが、社会人経験があり、2年ズレていて、なおかつトレーナーになるという目標があった僕は、周りの学生とのギャップに驚いてしまいました。

たっぷり時間があり、ぬくぬくとした学生生活を過ごしている中、ふと、こう思います。「卒業してトレーナーとして就職しても、また上司と気が合わない、トラブルや諸々で仕事を転々としてしまうではないか?」と、自己分析をしていました。

自分の将来を考え、市場分析をしているうちに、パーソナルジムという業態を見つけ!「よし!パーソナルトレーナーとしてパーソナルジムを開業し、自営業をしよう!」と決意したものの、大学生で、お金が30万円ほどしか無かったこともあり、不動産屋からは門前払いを食らったり、保証人が用意できなかったり、それこそ、親、友人、上司、同僚から笑われ、「上手くいくわけないだろ。やめとけ。」これも散々言われてきました。

今に見てろよ…と、全て押し切って日本政策金融公庫から300万円を借り入れ、パーソナルジムをオープン!!
それも束の間、お客さんが全く来ない…

夜な夜などうしたらいいか悩む中で、親、友人、上司、同僚から笑われ馬鹿にされたことを思い出し、なにくそー!と思い、とにかく時間はあったので寝る間も惜しんで、朝から晩まで勉強し、集客とは何か、マーケティングとは何かを学びました。

それから、WEBサイトを作れるようになったり、自分で広告を運営したり、システムを作る中で、気づけば2年ほどで店舗は全国に増え、巨大な会社になっていきました。

未熟がゆえのトラブルも多くありましたし、うまくいかなくて夜な夜な泣いたこともありました。自分の会社なのに、一時期は会社に行くのが嫌になってしまったことも(笑)

他にも会社をいくつも作り、異業種に参入し、着実に実績を積み上げていき、ビジネスで成果を出すための考え方に触れて、結果、今の僕になりました。

2022年9月には、M&Aの話があり、初めて作った会社を●億円で売却しました。
手取り¥125,000で工場でライン作業をしていた頃を思い出すと、とても考え深いです。

こうした実績を積み上げてこれたのは、たまたま通用するような小手先のノウハウやテクニックでは、到底達することはできなかったと思います。

僕が実践してきたビジネスのやり方、考え方は、「他業種の方々にもお役に立つはずだ」と思い、情報発信をスタートしました。

現在では、「衛藤と共に事業をしたい」という方と、双方合意のもと出資をし、法人を設立、運営するといった取り組みもしています。

このあたりのお話は、話すと長くなりますので、YouTube等でご覧ください。

社会不適合者で、ドロップアウトした僕みたいな人間でも「コツコツ学び、諦めないことで、ここまで来れるんだ」ということをお伝えしたいです。

諦めなければ、やりたいことをやる人生に!お金も時間も手に入れ、ライフスタイルも変え、成功できるんだっていうことを。

とはいえ、まだ僕も旅の途中です!

これからも僕が学び、経験したことをお伝えさせていただくため、様々なSNSで情報発信をしていきます。

もし、興味がありましたら、一緒にお仕事できたら嬉しいな、とも思っています。

いつか…
あなたとお会いできるのを楽しみにしています!

 

衛藤 淳


名前:衛藤淳(えとう あつし)

1993年、愛知県生まれ。高校を2ヶ月で強制退学になり、通信で高卒認定を取ったのち、自動車工場に就職。2年後、大学に進学し、在学中にパーソナルジムを起業。CALORIE TRADE JAPANを全国展開し、2年運営した後、28歳で年商150億円の会社に●億円で株式譲渡。現在は、美容サロン、リラク、飲食など業種問わず、様々な会社、事業を立ち上げ連続起業中。

YouTubeチャンネル

パーソナルジム   26店舗(株式譲渡済)
美容サロン     6店舗
ドライヘッドスパ  2店舗
飲み屋       5店舗(2店舗事業譲渡済)
キッチンカー事業
ポーカーハウス   1店舗
焼肉屋       1店舗(事業譲渡済)
M&A仲介事業     1社


略歴・実績

2012年3月 通信高校卒業

2012年4月 自動車工場に就職(手取り12万5千円)

2014年4月 専門学校に進学

2016年4月 大学に編入

2018年3月 パーソナルジムを起業

2019年9月 (株)EVANESS設立

2020年7月 (株)GENESS設立

2022年1月 (株)エルレーヌ設立

2022年1月 (株)OYASUMI設立

2022年2月 (株)LIMITY設立

2022年4月 ViViモデルの藤井サチさんとテレビ出演

2022年9月 (株)EVANESSをM&A(会社売却)

2023年5月 *会社名非公開をM&A(会社売却)

2024年4月 (株)アールゴッド設立


衛藤の事業の実績

パーソナルジム   26店舗(株式譲渡済)
美容サロン     6店舗
ドライヘッドスパ  2店舗
飲み屋       5店舗(2店舗事業譲渡済)
キッチンカー事業
ポーカーハウス   1店舗
焼肉屋       1店舗(事業譲渡済)
M&A仲介事業     1社

TOP